3年前、この写真を投稿していたことをフェイスブックから 教えられ、記憶が自動的に巻き戻された。 この写真の投稿を書いた時は、 初めての海外一人旅、タイ・カンボジア・マレーシアを 旅行中に、身ぐるみはがされ無一文になってしまった息子が、 無事帰国し、心からホッとしていた時だった。 ただでさえ、心配性の私の寿命は確実にあの時縮まった。 カンボジアで無一文になった息子が、 足を運んだところは大使館で、 大使館の職員から私の携帯に電話がかかってきた。 事務所で他の電話に出ていて、その電話に出られなかった私は、 見慣れない番号に、 「どこからの電話だろぉ~?」 と、独り言を言った。 ちょうど、PCの前にいたスタッフが、 すぐに、ちゃっちゃっと番号を検索してくれて、 「カンボジアみたいですよ。」 と言う。 私は、 「ん?カンボジア?え?今、息子が行ってるけど? 電話?えっ、えー、何、何、何。」 、 となり、 ほどなくして再度かかってきた電話が、 大使館からとわかり、私は1秒ですっかり動転。 「私が知也(←息子の名前)の母です、知也の母です。知也が どうかしたのでしょうか。知也は、知也は、大丈夫ですか?」 と、取り乱し、繰り返す始末。 (今、考えるとホント恥ずかしいです、ハイ。) 受話器の向こうの日本語がおぼつかない職員らしき人は、 そんな私の慌てブリなどお構いなしに、 「はいぃ~?なんですかぁ?トォ~モォ~ヤぁ?ですぅかぁ?」 と。 そして、神妙な声の息子が電話を代わり、 私は、息子が無一文になったことを知らされた。 ・・・と、まぁ、そんな3年前だった。 その、息子もなんだかんだでもうすぐ社会人2年生になり、 後ろに映っている双子の娘たちは、この4月からは 社会人と留学生。双子2人を取り巻く風景が、それぞれ大きく 異なる初めての年のスタートだ。 まぁ、元気でいてくれればいーや。 例え、色々な思いをあちこちさまよっても、最近は必ず 「元気ならいーや」に戻る。 期待をしていないとかではなく、 文字通り、 「子供の人生は私のものではない。」 という事が、 子育てをして20年めくらいから、 少しずつわかるようになってきた。 遅い! 無一文になって帰国した息子が私に送ってきたメールに、 ボブマーリーの 「自分の人生を愛せ、 自分の愛する人生を生きろ。」 と言う歌詞が書いてあったのを覚えている。 「エラそうに。寿命を返せ。」 と、思ったけど、 それは、 息子について、 「もう、私が知っていることより、 私が知らないことのほうが多いんだろうなぁ。」 と、思った瞬間でもあった。 それは少しだけ淋しくて、少しだけ悲しかった。 有給消化のため、まとまった休みがとれた息子は、 一昨日から、また、カンボジアへ行っている。 いいんだけどさぁ。 頼むよ、ホント。