頼むよ、ホント

20160229042624

3年前、この写真を投稿していたことをフェイスブックから
教えられ、記憶が自動的に巻き戻された。

この写真の投稿を書いた時は、

初めての海外一人旅、タイ・カンボジア・マレーシアを
旅行中に、身ぐるみはがされ無一文になってしまった息子が、
無事帰国し、心からホッとしていた時だった。

ただでさえ、心配性の私の寿命は確実にあの時縮まった。

カンボジアで無一文になった息子が、
足を運んだところは大使館で、

大使館の職員から私の携帯に電話がかかってきた。

事務所で他の電話に出ていて、その電話に出られなかった私は、

見慣れない番号に、

「どこからの電話だろぉ~?」

と、独り言を言った。

ちょうど、PCの前にいたスタッフが、
すぐに、ちゃっちゃっと番号を検索してくれて、

「カンボジアみたいですよ。」

と言う。

私は、

「ん?カンボジア?え?今、息子が行ってるけど?
 電話?えっ、えー、何、何、何。」
、
となり、

ほどなくして再度かかってきた電話が、
大使館からとわかり、私は1秒ですっかり動転。

「私が知也(←息子の名前)の母です、知也の母です。知也が
 どうかしたのでしょうか。知也は、知也は、大丈夫ですか?」

と、取り乱し、繰り返す始末。
(今、考えるとホント恥ずかしいです、ハイ。)

受話器の向こうの日本語がおぼつかない職員らしき人は、
そんな私の慌てブリなどお構いなしに、

「はいぃ~?なんですかぁ?トォ~モォ~ヤぁ?ですぅかぁ?」

と。

そして、神妙な声の息子が電話を代わり、
私は、息子が無一文になったことを知らされた。

・・・と、まぁ、そんな3年前だった。

その、息子もなんだかんだでもうすぐ社会人2年生になり、

後ろに映っている双子の娘たちは、この4月からは
社会人と留学生。双子2人を取り巻く風景が、それぞれ大きく
異なる初めての年のスタートだ。

まぁ、元気でいてくれればいーや。

例え、色々な思いをあちこちさまよっても、最近は必ず
「元気ならいーや」に戻る。

期待をしていないとかではなく、

文字通り、

「子供の人生は私のものではない。」

という事が、

子育てをして20年めくらいから、
少しずつわかるようになってきた。

遅い!

無一文になって帰国した息子が私に送ってきたメールに、

ボブマーリーの

「自分の人生を愛せ、
 自分の愛する人生を生きろ。」

と言う歌詞が書いてあったのを覚えている。

「エラそうに。寿命を返せ。」

と、思ったけど、

それは、

息子について、

「もう、私が知っていることより、
 私が知らないことのほうが多いんだろうなぁ。」

と、思った瞬間でもあった。

それは少しだけ淋しくて、少しだけ悲しかった。

有給消化のため、まとまった休みがとれた息子は、
一昨日から、また、カンボジアへ行っている。

いいんだけどさぁ。

頼むよ、ホント。