母が倒れた2月22日、 私は京都へ日帰り出張で、 「夕方には東京に戻るから。」 と都内に住んでいる双子の下の娘と、 映画を観てご飯を食べる約束をしていた。 京都から東京に戻る新幹線でうつらうつらしていたら、 兄からメッセージがあった。 兄:「講座終わったら連絡してね。」 なんで用件を書いてこないんだろう?と思った私は、 私:「どういう意味?」 と返事を送った。 すると、 兄からは、 兄:「知らせることがあるのね。」 と返ってきた。 知らせることがあるなら、 書いてくればいいのに。 面倒くさいのかな・・・と思いながら、 「じゃあ、駅に着いたら私から電話をすればいい?」 と送ると、 兄:「そうして。」 と返ってきた。 何だろう?と思いながら、 東京駅に着き兄に電話をしたら、 母が心筋梗塞で倒れ、今、ICUにいる、 と言われた。 埼玉の自宅のそばの病院だったので、 私は娘に「おばあちゃんが大変!」と、 映画と食事を取りやめる連絡をして病院へ向かった。 私が病院に着いた時には、 兄と、私の夫と、母の友達の 千代子さんと森ちゃんがいた。 そして、 少し遅れて、姉と双子の娘たちが到着した。 夕方、たまたま遊びに来た千代子さんが、 自宅のソファーに倒れ込んでいた母を見つけ、 近所の病院にタクシーで連れて行ってくれて、 会社に連絡も入れてくれたので、 兄がいち早く駆け付けることができた。 (ここから今に至るまで、千代子さんは天井知らずの大活躍!) 近所の個人病院では手に負えないので、 大きな病院へ救急車で運ばれることになったが、 兄が救急車に同乗できたというのも、 母にとってはとても心強かったと思う。 それも、これも、千代子さんのおかげなので、 金子兄弟は千代子さんに足を向けて眠れませんし、 一生頭が上がりません。 無事、カテーテルの手術が終わったのは、 夜の12時くらいだったと思う。 ICUのベッドで横になる母の顔を見た時は、 本当にホッとしたのを覚えている。 病室に生花を飾るのは禁止されていたので、 絵が上手な兄にカーネーションを3本描いてもらい、 病室に置いた。 兄は子供の頃から絵が上手だったが、 いつの間にか、 字も歌も上手くなっている。 人生って素晴らしい( ̄▽ ̄) まぁ、言わせてもらうと、 私は裕子ではなく、祐子なんですけど、 そこは空よりも広い大きな心で、 スルーすることにした。 絵を見た母はとても嬉しそうだった。 そうして、 母の闘病生活が始まり、 私たち兄弟の病院通いが始まった。 あ、 自宅からタクシーで病院に行った時、 母は苦しそうで辛そうであるにもかかわらず、 降りる時、運転手さんに「領収書」と言ったそうです。 by千代子 さすがですm(__)m