本質の定義

 

西條先生が主催される
「Essential Management School(EMS)本質行動学0期」は、
2019年1月31日に始まった。

先生のおっしゃることは、

「なるほど、そりゃそうだ・・・。」

の連発だった。

「「本質」とは最も重要なポイントで、真理ではないが、
 外すと上手くいかないもの」

らしい。

ので、

「本質」について研究されてきた西條先生の授業が、
つまらないワケがないのだ。

外すワケがない。

のだ。

だから、

先生のテンションは決して高くはないのだが(すみません(*_*;)
多くの人が集った会場は熱気でムンムンしていた。

人の本質として、

「全ての人間は自らを肯定されたい。」(肯定の原理)
 
と先生がおっしゃるのを聞き、

「なるほど、そりゃ、そうだ。
 私も肯定されたい。」

と思った。

帰りの電車の中で、
EMSに参加するきっかけとなった、

「関心があることには問いを立てるが、
 関心がないことには問いを立てない。」

スタッフのことについて考えた。

「問いを立てない」と何がどうなるかと言うと、
「同じミスを繰り返す」と言うことが起きるのだが、

では「同じミスを繰り返す人」と認識していたそのスタッフに対して、
「私は肯定していたか?」と自問自答してみると、

肯定と否定が常に入り混じっていたのは明確で、
となると、本質を外していたことになるワケだから、
そりゃあ、上手くいかなくなる・・・と、

「この先本質を知れば知るほど、
 しんどくなりそうだな・・・。」

と、

微妙な悶々感でスタートを切ったのを覚えている。

・・・が、

前回のブログにも書いた通り、
回を重ねるごとに、
私の関心は、母との関係に移っていき、

今、現在、何がどうなっているのかと言うと、

「同居している母に優しくしたいけど優しくできない。」

とずっと思っていた私が、

「優しい娘になれるかも知れない。」

と、

半年前は思いもしなかった期待を、
自分で自分に抱けるようなっている(驚)


イヨっ!( `ー´)ノ


それは、何故かと言うと、

健康自慢の母が、
2月22日に心筋梗塞で倒れ、

「もしかしたら、母が死んでしまうかもしれない。」

と言うせっぱつまった状況が、

「もし、今、母が死んだら、私はきっと一生後悔するし、
 その後悔を一生引きずる。」

と、

EMSでの学び⇒気づき⇒行動(チャレンジ)のサイクルを
後押ししたからだ。


のちにウチのスタッフに繰り返し自慢する(笑)
ことになる私の最初のチャレンジは、

「私から母に話かけること」

だった。