清水の舞台から飛び降りた

前回からの続きです。

「私から母に話しかける」

と言うのが、なぜ、私にとっては難しいことだったのかを
書きたいと思います。

母を誘って姉や娘たちと一緒に旅行に行くし、
毎日いがみ合っているわけでもない。
食事も一緒にするし、
「おやすみなさい」や「おはよう」の挨拶もする。

でも、私の心の中には母に対する明確な滞りがあった。
必要なこと以外は話したくない、そんな気持ちを抱えながら
同居する母との生活を送っていた。

振り返って考えると、
母に対して様々な感情を抱くようになったのは、
子育てが一段落し、私の生活が仕事中心の生活へ
シフトしてきたことに関係があるように思う。

私は結婚し、子供が生まれても仕事はずっと続けていたが、
仕事中心の生活になったのは、ここ14、5年だ。

ホテルの数も増え1棟から5棟になった。

社長である母はそのことをとても喜んでいたが、
現場の責任者として仕事をしていた私は、
無邪気に喜んでいる母に対して、
年々「???」が浮かぶようになり、
何を考えているのか確認をするのもだんだん面倒になり、
仕事の相談、判断、決断は常に兄(現在は親会社の社長)と
私の2人でするようになった。

爽やかに偉そうに言うと(*'▽')

私が思い描くこうあって欲しい社長像と
社長である母の実像が違うことに、
だんだんストレスを感じるようになったのだ。

会社での感情をそのまま家に持ち帰り、
かと言って、決してそのことについて、
正直に母に伝えることはなく、
(ある時までは伝えないことが、
 母にとっていいことなのだと本当に思っていた。)

その積み重ねが、私の母に対する感情を、
少しずつ、少しずつ頑ななものにし、
私は母のことがどんどんわからなくなっていった。

だから、

自分から気楽に母に話しかけることは、
ハードルが高かった。

でも、

前回の「本質行動学」の授業で、
西條先生から、

「人はみんな自らを肯定されたいから(人の本質)
 関係をよりよりものにしたい時に肯定は外せない」

と教えて頂いた。

ただ、

だからと言って、今日の明日で、突然、
母の存在を肯定するのは難しい。


じゃあ、どうする?

「今現在肯定出来ていないワケだから、
 肯定するには材料が必要。」

と言う考えに至り、
情報収集の1歩として、

「まずは、私が知りたいことを母に聞いてみよう。」

と思い、

スタッフの前で(確か白岡の営業ミーティングの時)

「私は今日、オーナー(母のこと)に
 幼稚園から小学校4年生まで給食が食べられ 
 なかった私のことをどう思っていたのか?を
 聞こうと思う。心配されていた記憶がないので、
 当時、どう思っていたのかを 聞く!」

と自らを追い込み( ̄▽ ̄)


その夜、

清水の舞台から飛び降りる気持ちで(大袈裟!でもそんな感じ)



 
母に聞いてみた。