おじいちゃん社長

昨日の続きです。

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ホテルの目と鼻の先にあるお弁当屋さんの入口に
張られている手書きの「後継者求む!」と言う張り紙。

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その張り紙の真意を確認に行った萱森から、
次のようなメッセージが届きました。

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「それはそれはおばさん(ん?誰?)喜ばれていました。
 グリーンコアにお願いしたかったようです。社長さんに
 連絡を取りますとのことでした。来週あたり、社長のご都合の
 良い日を教えて下さい。」
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すでに、私が会う話しになっている😆


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ま、いっか。

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開業40年を誇るそのお弁当屋さんは、経営者は80歳オーバーの
おじいちゃんで、お店を切り盛りしているのは70歳オーバーの
おばあちゃんでした。(私は、もともとお弁当を買う習慣がない
ので、目と鼻の先にあるとは言え、ここのお弁当を食べたのは、
40年間で10回もないと思います。)

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おばあちゃんは兼ねてから、70歳になったら、お店を辞めたいと
思っていたらしく、訪ねて行った萱森に「後継者求む!」の
張り紙の真意をくったくなく教えてくれたようでした。
(食いしん坊バンザイの萱森は、このお弁当屋さんのから揚げの
大ファンで、おばあちゃんとは顔なじみでした。)

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1週間後、ホテルに訪ねて来てくれたおじいちゃん社長から、
お弁当屋さんの現状を聞き、その時すでに、
「もう、この展開は、ウチにやれってことでしょう!」
となっていた私ではありましたが、
「一旦、預からせて頂けますか?」と、とりあえず
冷静な対応をし「うーん、どうしたものか?」と
考えあぐねる日々が始まりました。
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私たちの父親は、本業(段ボールの製函業)のほかに、
副業をすることを良しとしている人でした。

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私が幼い頃は、モーテル(すごい広い敷地で森のような
場所でした。)、小学校4年生の頃は、当時は珍しかった
幹線道路沿いに大型レストラン(店内には滝があり、
エレクトーンの生演奏が流れていてパーティーもできる
中2階もありました。)、そして私が25歳の時に
周りの反対を押し切って、父親はホテルグリーンコアを
始めました。

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「こんな田舎にビジネスホテルを建ててもうまくいかない。」


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周りから盛大に反対されていたにも関わらず、
開業後あっと言う間に高稼働のホテルになったのを
覚えています。

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父には勝算があったのかどうか…

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当時の私は、60歳になるまでホテルの仕事を続けるなんて
1ミリも思っていなかったので…と言うより、そもそも
仕事に対してそこまでの思い入れがなかったので、
父親の仕事論みたいな話を聞いた記憶など皆無に近く…
そうして、父親は、1棟目開業5年後、
私が30歳の時に病気で急死してしまいました。

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父親が新しい商売を始める時に心がけていたことは何だったのか…
今となっては知る由もありませんが、兄と相談しながら
どうするか決めよう…と思いながら、

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今から24、5年前、ホテルの仕事に飽きていた私は
(当時は45室のホテルグリーンコア1棟)、
町の中で売りに出ていた「お煎餅屋さん」を買い、
午前中はお煎餅屋さん、午後からホテルで働く毎日を
送っていたことを思い出していました。






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と言うワケで、この話の続きは、また、あとで😊



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